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2022-03-26

  • 執筆者の写真: 伊吹 一
    伊吹 一
  • 2022年3月26日
  • 読了時間: 2分

昨日から、プロ野球が開幕しました(野球の話ばかりすみません。あくまで導入として)。

ご贔屓なのは、小学生のときと変わらず、阪神タイガース。

阪神の先発は、藤浪晋太郎という同い年のピッチャーでした。


同い年以外、共通点ないんじゃないかと思うくらい、カッコよくて、背も高くて、モデルさんみたいな藤浪選手ですが、それでもどこかで共通点を探してしまいます。

……と、ああ、そうなんだよな、と投球を見ていて思いました。


ちょっとさみしそう、なんです。


名前をずらずらあげるのはあれなのでやめておきますが、自分と同学年の人って、オリジナリティはあるんだけどそこがまた弱点になっていて、社会との折り合いをつけようとしてるんだけどつけきれてなくて、それのせいかちょっとさみしそうに見えます。


勝手にそう思ってるだけかもしれないけれど、でも感じるんです。

1994年生まれ。ゆとり世代ど真ん中。「どゆとり世代」(土曜日の学校を一度も経験することなく、高校卒業を迎えた)として育てられた僕たちは、「世界に一つだけの花」をテーマソングとして、ひたすら個性を磨くことだけを求められました。


でも結局、社会は個性なんか求めてなくて。ハッピーゆとりライフを終えて、広がっていたのは広大で、草木一つ生えてない砂漠でした。


それでも僕たちは生きてゆかねばなりません。だから、社会に適合しようとします。でも手元にあるのはちょっとした個性だけで、個性で押し切ることについては全く教わってないので(「皆、仲良く」を骨の髄まで仕込まれてる)、結局、個性がプラスになることなんてなくて、基本はマイナスに作用します。

ああ、そうだよね。社会ってそんなもんだよね。現実ってそんなもんだよね。その内なる声と一緒に生きているのがこの年に生まれた人たちな気がします。


だからなにって訳ではないです。でも、だから「この人同い年かな」って思うと、毎回調べてしまって。それで実際そうだったりすると、「分かるよ。でも踏ん張ろうね」と心のなかで声を掛けてしまいます(その声掛けはきっと、自分自身への励しでもあります)。


ゆとりの日々で育まれた、吹けば飛んでしまうようなちっぽけな個性。

なんでもない個性とともに今日も生きています。

(でも結局、そんなちっぽけな個性が大好きです。人のも、自分のも。)

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